2012年10月23日(火) 東京大学・本郷・南キャンパス② 付属病院、「健康と医学の博物館」
龍岡門を入ると
東京大学医学部付属病院
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向こうにかすかに見えるはスカイツリー
どれだけの命がここで助かったのか
知らないが
病院の建物内の地下や地上2階に
救急車、乗用車、タクシーが直接乗り入れないと
患者の搬送は大変だ
雨の日には歩ける患者は困り
晴れの日には歩けない患者が困る
歩けない患者は雨に日にはもっと困る
学んでほしい海外の病院建築のあり方
病院の手前道路の左側
「健康と医学の博物館」
入館無料
外から見る限り
館内はガラガラ
そこに
女子高生3人がご入館
「健康と医学の博物館」入口にいたる道
記念碑あり
「大聖寺藩県(だいしょうじはんけん) 江戸藩邸跡」
大聖寺藩県とは聞いたことがないが
現在の石川県加賀市
その藩の江戸上屋敷跡
その藩の江戸上屋敷が
この地にあったのはいいけど
平成10年になって
だれがどうして大きな石に刻んでここに置くの?
誰のため?
九谷焼とあるけど
医学と関係あるの?
さらに記念碑あり
俳人・水原秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892 - 1981年)
「胸像を ぬらす 日本の花の雨」
水原秋桜子は東京帝国大学医学部卒
でもどうしてここに碑が?
さらに記念碑あり
東京大学名誉教師ベルツ先生(在職1876-1902)内科学
東京大学名誉教師スクリバ先生(在職1881-1901)外科学
約20年間、東京大学医学部で弟子を育て
日本の近代医学の基礎を築いた
日本の恩人
明治40年4月4日(1907年)建設
昭和36年11月3日(1961年)ここに引っ越し
ベルツ先生、スクリバ先生は立派
招聘した日本人は誰?
その人も立派
しかし
草も生え
碑の手入れがいたらない
見に来る人もいない
碑はなんのため?
人々が先人の業績をたたえ
人々が感謝し
人々が教訓として学ぶ
顕彰するなら
人々が見に来るように工夫し
手入れもすべき
本日が幸せに満ちた1日でありますよう
今日も笑顔で!
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と
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